2011年3月25日は、カンクン (Cancun) からメリダ (Merida) へ移動したのですが、その途中で、メキシコの世界遺産「古代都市チチェン・イッツァ」(Pre-Historical City of Chichen Itza) のある「チチェン・イッツァ遺跡」(Chichen Itza) と、セノーテ「イク・キル」(Ik Kil) に立ち寄ってきました。
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マヤ系のイッツァ人は、チチェン・イッツァの地に都市を形成し、7世紀頃には隆盛を誇っていましたが、7世紀頃に、その王族はこの都から去り、歴史の表舞台から完全に姿を消しました。当時、古代のマヤ人は、暦によって定期的に遷都を繰り返していたからです。
その後、10世紀になって、トルテカ文明の影響を受けたイッツァ人の末裔がイッツァに再移住してきて、この都市を再興しました。
その後、チチェン・イッツァは、13世紀頃に、別のマヤ人の都市国家であるマヤパンから攻撃を受け、イッツァ人が逃亡したために、建造物のほとんどが廃墟となってしまいました。
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【参考文献】
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「古代都市チチェン・イッツァ遺跡」とは?
メキシコのユカタン半島の北部に位置している「チチェン・イッツァ」 (スペイン語: Chichén Itzá) は、マヤ文明とトルテカ文明という2つの文明が融合した遺跡です。ちなみに、マヤ語で「チチェン」とは「泉のほとり」を、「イッツァ」は「魔術師」を意味するそうです。この名称からもお分りいただけますように、チチェン・イッツァは、ユカタン半島でも最大級のセノーテ (聖なる泉) の上に築かれていました。マヤ系のイッツァ人は、チチェン・イッツァの地に都市を形成し、7世紀頃には隆盛を誇っていましたが、7世紀頃に、その王族はこの都から去り、歴史の表舞台から完全に姿を消しました。当時、古代のマヤ人は、暦によって定期的に遷都を繰り返していたからです。
その後、10世紀になって、トルテカ文明の影響を受けたイッツァ人の末裔がイッツァに再移住してきて、この都市を再興しました。
そのため、チチェン・イッツァの遺跡群は、マヤ独自の特徴が顕著に残されている6世紀頃のマヤ古典期に属する「旧チチェン・イッツァ」と、トルテカ文明と融合した10世紀以降の後古典期に属する「新チチェン・イッツァ」という2つのエリアに大別されています。
その後、チチェン・イッツァは、13世紀頃に、別のマヤ人の都市国家であるマヤパンから攻撃を受け、イッツァ人が逃亡したために、建造物のほとんどが廃墟となってしまいました。
前述のように、チチェン・イッツァの遺跡群は、マヤ文明の特徴が顕著に残されている「旧チチェン・イッツァ」と、アステカ文明と融合した「新チチェン・イッツァ」という2つのエリアに大別されます。
旧チチェン・イッツァでもっとも有名な建物は、スペイン語でカタツムリを意味する「カラコル」(El Caracol) です。螺旋階段を持つこの円形の塔は、最上階の窓に年2回、夏至と冬至の日だけ太陽の光が差し込むことから、古代の天体観測所があったと考えられています。
新チチェン・イッツァには、スペイン人が誤解して名付けられた「エル・カスティーリョ (城塞)」と呼ばれる9層の階段状ピラミッドが存在しています。このピラミッドは、マヤの最高神「ククルカン」(羽毛のあるヘビの姿の神「ケツァルコアトル」のマヤ語名) を祀るピラミッドです。
最上階にククルカン (ケツァルコアトル) 神殿が建設されたこの遺跡は、四方の91段の階段、最上部の1段を合わせた365段で1年を表現しているそうです。また、周囲に52の浮き彫りがあることから、52年を1周期としたマヤの暦を表したものと考えられているそうです。さらに、春分と秋分の2日間のみ、傾度45度の階段にはククルカン (羽毛の蛇) を表すとされるシグザグの蛇のような影ができるなど、旧チチェン・イッツァのカラコルと同様、マヤ文明の優れた天文知識が伺えます。
チチェン・イッツァでは、古くからマヤ文明に特徴的な「生贄の儀式」も行われていました。ピラミッドの東側になる「戦士の神殿」の正面には、戦士たちの浮き彫りで装飾された60本の柱が立ち並んでいて、神殿の中央には、太陽への生贄として人間の心臓を載せたという巨大なチャクモールの像も置かれています。ただし、残念なことに、チャクモールのある階段上まで立ち入ることはできません。
チチェン・イッツァの「聖なる泉」セノーテ (井戸、泉) は、ユカタン半島最大の規模であるだけでなく、神話に彩られた聖域となっています。700年頃から宗教儀礼に用いられるようになり、雨が降らない時や豊作を願う時、雨と嵐と稲妻の神チャークの予言を伺うために、財宝や生贄の人間が投げ込まれたそうです。なお、セノーテは、スペイン人による植民地化の後も長く巡礼地として機能したそうです。
チチェン・イッツァは、「古代都市チチェン・イッツァ」(Pre-Historical City of Chichen Itza) として、1988年に世界遺産 (文化遺産) に登録されました。
【参考文献】
世界遺産検定事務局『すべてがわかる世界遺産大事典<下>』(世界遺産アカデミー、2012年)
地球の歩き方編集室『地球の歩き方 メキシコ '11〜12』(ダイヤモンド社、2010年)
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旧チチェン・イッツァでもっとも有名な建物は、スペイン語でカタツムリを意味する「カラコル」(El Caracol) です。螺旋階段を持つこの円形の塔は、最上階の窓に年2回、夏至と冬至の日だけ太陽の光が差し込むことから、古代の天体観測所があったと考えられています。
新チチェン・イッツァには、スペイン人が誤解して名付けられた「エル・カスティーリョ (城塞)」と呼ばれる9層の階段状ピラミッドが存在しています。このピラミッドは、マヤの最高神「ククルカン」(羽毛のあるヘビの姿の神「ケツァルコアトル」のマヤ語名) を祀るピラミッドです。
最上階にククルカン (ケツァルコアトル) 神殿が建設されたこの遺跡は、四方の91段の階段、最上部の1段を合わせた365段で1年を表現しているそうです。また、周囲に52の浮き彫りがあることから、52年を1周期としたマヤの暦を表したものと考えられているそうです。さらに、春分と秋分の2日間のみ、傾度45度の階段にはククルカン (羽毛の蛇) を表すとされるシグザグの蛇のような影ができるなど、旧チチェン・イッツァのカラコルと同様、マヤ文明の優れた天文知識が伺えます。
チチェン・イッツァでは、古くからマヤ文明に特徴的な「生贄の儀式」も行われていました。ピラミッドの東側になる「戦士の神殿」の正面には、戦士たちの浮き彫りで装飾された60本の柱が立ち並んでいて、神殿の中央には、太陽への生贄として人間の心臓を載せたという巨大なチャクモールの像も置かれています。ただし、残念なことに、チャクモールのある階段上まで立ち入ることはできません。
チチェン・イッツァの「聖なる泉」セノーテ (井戸、泉) は、ユカタン半島最大の規模であるだけでなく、神話に彩られた聖域となっています。700年頃から宗教儀礼に用いられるようになり、雨が降らない時や豊作を願う時、雨と嵐と稲妻の神チャークの予言を伺うために、財宝や生贄の人間が投げ込まれたそうです。なお、セノーテは、スペイン人による植民地化の後も長く巡礼地として機能したそうです。
チチェン・イッツァは、「古代都市チチェン・イッツァ」(Pre-Historical City of Chichen Itza) として、1988年に世界遺産 (文化遺産) に登録されました。
【参考文献】
世界遺産検定事務局『すべてがわかる世界遺産大事典<下>』(世界遺産アカデミー、2012年)
地球の歩き方編集室『地球の歩き方 メキシコ '11〜12』(ダイヤモンド社、2010年)
チチェン・イッツァ遺跡 (Chichen Itza) の入口
以下では、この日 (2011年3月25日)、訪問した順番、すなわち「チチェン・イッツァ遺跡」(Chichen Itza) につきましては、「新チチェン・イッツァ」→「旧チチェン・イッツァ」の順番で、その後にセノーテ「イク・キル」(Ik Kil) をご紹介いたします。
新チチェン・イッツァ
エルカスティージョ (El Castillo)
- チチェン・イッツァを代表する遺跡「エル・カスティーリョ (城塞)」と呼ばれる9層の階段状ピラミッドです。
- マヤの最高神「ククルカン」(羽毛のあるヘビの姿の神「ケツァルコアトル」のマヤ語名) を祀るピラミッドです。
- 最上階にククルカン (ケツァルコアトル) 神殿が建設されたこの遺跡は、四方の91段の階段、最上部の1段を合わせた365段で1年を表現しているそうです。
- 春分と秋分の2日間のみ、傾度45度の階段にはククルカン (羽毛の蛇) を表すとされるシグザグの蛇のような影ができるそうです。
- ただし、残念ながら、このピラミッドの上に登ることはできませんでした。
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戦士の神殿 (Templo de los Guerreros)
- ピラミッドの東側になる「戦士の神殿」の正面には、戦士たちの浮き彫りで装飾された60本の柱が立ち並んでいて、神殿の中央には、太陽への生贄として人間の心臓を載せたという巨大なチャクモールの像も置かれています。
- ただし、残念なことに、チャクモールのある階段上まで立ち入ることはできません。
ツォンパントリ (El Tzompantli)
- ツォンパントリ (El Tzompantli) とは、「頭蓋骨の城」という意味だそうです。
- 球戯場の隣にあるこの台座は、生贄の骸骨を大衆に晒す場所だったそうです。
ジャガーの神殿 (Templo de los Jaguares)
- 球戯場の東壁に造られた小神殿正面にジャガー像が置かれ、壁の内側には戦争の様子が描かれています。
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球戯場 (Juego de pelota)
- 全長150mあるメソアメリカ最大の球戯場です。
- なお、マヤ人の球戯は、娯楽などではなく、豊穣の神に祈りを捧げる宗教儀式であったそうです。
- ゲームは、生ゴムのボールを壁の上部に取り付けてある輪にくぐらせて競われたそうですが、手は使わず、サポーターを装着した上腕や腰でボールを打っていたそうです。
- しかも、驚くことに、勝ったチームのキャプテンが栄光を担い、生贄として捧げられたそうです。
聖なる泉セノーテ (Cenote Sagrado)
- 日照りの時期に、ここに若い処女が人身供養として投げ入れられたそうです。
- また、生贄と同時に、さまざまな貢物も一緒に捧げられたため、この泉のそこを調査したところ、多くの貴金属製品も見つかったそうです。
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旧チチェン・イッツァ
カラコル (El Caracol)
- 旧チチェン・イッツァの区域にありますが、建物はトルテカ・マヤ時代に改築されたそうです。
- 上部にあるドームは、マヤの天文観測台であったと推測されていて、9mの露台の上に高さ13mの観測台が載っています。
- なお、マヤ人は、月、太陽、星の運行を肉眼で観測することにより、驚くほど正確な暦を作り上げていたそうです。
尼僧院 (Casa de las Monjas)
- カラコルの南側にあるこの建築物は、高さ20mの基壇と、その上にたくさんの部屋がある建物の二重構造となっています。
- 「尼僧院」と命名されていますが、実際の役割はまだわからないそうです。
高僧の墳墓 (Tumba del Gran Sacerdote)
- カスティージョと同じく、ピラミッド型の神殿です。
- 多くの埋蔵品も発見されたそうです。
セノーテ「イク・キル」(Ik Kil)
- チチェン・イッツァの遺跡から3kmほど東に位置するセノーテです。
- 天然のセノーテで泳ぐことができるように整備されています。
- 私は、チチェン・イッツァの遺跡だけでなく、このセノーテもぜひ見てみたいと考えて、わざわざ立ち寄りました。
- ただし、水着を持参することを思いつかず、泳ぐことができませんでした。
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マヤ文明とトルテカ文明とが融合した「チチェン・イッツァ遺跡」は、マヤ文明に興味のある方は必見!! セノーテ「イク・キル」もお忘れなく!!
メキシコの世界遺産「チチェン・イッツァ遺跡」(Chichen Itza) は、マヤ文明とトルテカ文明の2つの時代が交わる聖地であり、マヤ文明に興味のある方は必見であると思います。世界的にも有名なメキシコのリゾート地であるカンクンからさほど離れていない場所に位置しているところでもありますので、カンクンに滞在する機会に恵まれた際には、ぜひ「チチェン・イッツァ遺跡」にも足を伸ばしていただければと考えています。その際には、チチェン・イッツァ遺跡の近くにあるセノーテ「イク・キル」(Ik Kil) にもぜひ立ち寄ってみてください。【参考文献】
世界遺産検定事務局『すべてがわかる世界遺産大事典<下>』(世界遺産アカデミー、2012年)
地球の歩き方編集室『地球の歩き方 メキシコ '11〜12』(ダイヤモンド社、2010年)
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