2011年3月27日は、パレンケ (Palenque) からバカカル (Bacalar) まで移動したのですが、その道中で、メキシコの世界遺産「古代都市パレンケと国立公園」(Pre-Hispanic City and National Park of Palenque) のある「パレンケ遺跡」(Palenque) を訪問してきました。
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従来、メソアメリカのピラミッドは、王の墓ではなく神殿の土台に過ぎないものであるというのが定説でしたが、パレンケ遺跡の中の「碑文の神殿」でパカル王の墓室が1952年に発見されたことで、それまでの定説が覆ることとなりました。
パレンケ遺跡の建設が始まったのは4世紀頃と考えられていて、パレンケ遺跡は、マヤ文明の古典期と言われる6世紀から8世紀にかけて最盛期を迎え、この頃は他の都市との交流も盛んであったようです。しかし、その後はなぜか都市としての機能を失い、10世紀に廃墟となり、歴史の表舞台から消えていました。
パレンケ遺跡は、長い間密林に覆われていたわけですが、18世紀にスペインの宣教師によって再発見され、その後1940年代になってから、建造物の本格的な調査が始まりました。
8kmにも及ぶパレンケ遺跡は、約500ほどの建築物が現存していますが、もっとも有名な建築物は「碑文の神殿」(Templo de las Inscripciones) です。1949年に発見されたこの神殿頂部の小部屋からは、パレンケ王家の歴史が記されたマヤ文字の碑文が発見されました。
また、1952年の調査では、神殿の地下墓室に石棺も発見されました。この石棺の中には、翡翠の仮面で顔を覆われ、首や胸などにも翡翠の装飾で飾られた人骨が横たわっていたわけですが、その後の調査でこの人物は7世紀に君臨したパカル王であることが判明しました。
パレンケ遺跡は、1987年に「古代都市パレンケと国立公園」(Pre-Hispanic City and National Park of Palenque) として、ユネスコの世界遺産 (文化遺産) に登録されました。
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メキシコ南東部の熱帯雨林が囲む盆地に位置しているということで、足を運ぶのはちょっと大変なものがあるとは思いますが、マヤ文明に興味がある方はぜひ訪問してみていただければと考えています。個人的には、メキシコで訪問したマヤ文明の遺跡の中でもっとも楽しむことができる遺跡であると思います。
なお、当時、そこまで頭が回らなかったのですが、このパレンケ遺跡からさほど離れていないところに「ティカル遺跡」があります (ただし、メキシコではなく、グアテマラにあります) ので、パレンケ遺跡を訪問した際には「ティカル遺跡」にも足を伸ばしてみるのも1つであるように思います。
【参考文献】
【関連記事】世界のおすすめ古代遺跡 (Ancient Ruins)
【サイトマップ】メキシコの世界遺産 (World Heritage in Mexico)
【サイトマップ】メキシコ旅行記 (2011年3月24日〜4月1日)
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パレンケ遺跡 (Palenque) とは?
パレンケ遺跡 (Palenque) は、メキシコ南東部の熱帯雨林が囲む盆地に位置しており、1952年にメソアメリカで見つかった、ピラミッドの下に墓を持つ建造物を含むマヤ文明の都市遺跡です。従来、メソアメリカのピラミッドは、王の墓ではなく神殿の土台に過ぎないものであるというのが定説でしたが、パレンケ遺跡の中の「碑文の神殿」でパカル王の墓室が1952年に発見されたことで、それまでの定説が覆ることとなりました。
パレンケ遺跡の建設が始まったのは4世紀頃と考えられていて、パレンケ遺跡は、マヤ文明の古典期と言われる6世紀から8世紀にかけて最盛期を迎え、この頃は他の都市との交流も盛んであったようです。しかし、その後はなぜか都市としての機能を失い、10世紀に廃墟となり、歴史の表舞台から消えていました。
パレンケ遺跡は、長い間密林に覆われていたわけですが、18世紀にスペインの宣教師によって再発見され、その後1940年代になってから、建造物の本格的な調査が始まりました。
8kmにも及ぶパレンケ遺跡は、約500ほどの建築物が現存していますが、もっとも有名な建築物は「碑文の神殿」(Templo de las Inscripciones) です。1949年に発見されたこの神殿頂部の小部屋からは、パレンケ王家の歴史が記されたマヤ文字の碑文が発見されました。
また、1952年の調査では、神殿の地下墓室に石棺も発見されました。この石棺の中には、翡翠の仮面で顔を覆われ、首や胸などにも翡翠の装飾で飾られた人骨が横たわっていたわけですが、その後の調査でこの人物は7世紀に君臨したパカル王であることが判明しました。
パレンケ遺跡は、1987年に「古代都市パレンケと国立公園」(Pre-Hispanic City and National Park of Palenque) として、ユネスコの世界遺産 (文化遺産) に登録されました。
【参考文献】
世界遺産検定事務局『すべてがわかる世界遺産大事典<下>』(世界遺産アカデミー、2012年)
地球の歩き方編集室『地球の歩き方 メキシコ '11〜12』(ダイヤモンド社、2010年)
宮殿 (El Palacio)
- パレンケ遺跡の中心部にあり、もっとも立派な建造物であるため、王族の住居であったと考えられています。
- 宮殿の最大の特徴は、15mの4階建ての塔で、壁面が東西南北を指していることから、天体観測に利用していたと推測されているため「天体観測塔」と呼ばれています。
頭蓋骨の神殿 (Templo de la Calavera)
- 碑文の神殿の向かって右にある神殿です。
- 柱の根元にはうさぎの頭蓋骨のレリーフが施されています (2枚目の写真)。
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碑文の神殿 (Templo de las Inscripciones)
- パレンケ最盛期の675年に、パカル王によって着工され、王の死後692年に息子のチャン・バールム王によって完成した高さ23mの神殿です。
- 最上部に600以上の碑文が刻まれた石板があったことから「碑文の神殿」と呼ばれています。
- 残念ながら、この神殿の内部への立ち入りは禁止されているほか、階段を登ることも禁止されています。
十字架の神殿 (Templo de la Cruz)
以下は、十字架の神殿の頂上部から撮影した写真です。- パカル王の息子チャン・バールム王の時代に建造された神殿です。
- 十字架の神殿の頂上部からは、太陽の神殿 (左)、碑文の神殿 (中央)、宮殿 (右) を一望することができます (2枚目の写真)。
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太陽の神殿 (Templo del Sol)
- 神殿の内部の壁画に太陽のシンボルとされた盾と槍からなる戦いの神 (L神) が彫刻されていたことから「太陽の神殿」と名付けられたそうです。
葉の十字架の神殿 (Templo de la Cruz Foliada)
- 太陽の神殿の向かい側の丘の上にある小さな神殿です。
- 擬似アーチの入口と、上部の左右にあるトウモロコシの葉と人間の首を表す窓が特徴となっています。
パレンケ遺跡は、マヤ文明の古典期後期を代表する都市遺跡
パカル王が統治した7世紀に繁栄したパレンケ遺跡は、マヤ文明の古典期後期を代表する都市遺跡です。500以上もあると言われるパレンケ遺跡において、発掘・修復されているものがごく一部と言われている状況ですが、保存状態がいい建造物が少なくないと思いますし、マヤ文明に興味がある方であればとても楽しむことができる遺跡ではないかと思います。メキシコ南東部の熱帯雨林が囲む盆地に位置しているということで、足を運ぶのはちょっと大変なものがあるとは思いますが、マヤ文明に興味がある方はぜひ訪問してみていただければと考えています。個人的には、メキシコで訪問したマヤ文明の遺跡の中でもっとも楽しむことができる遺跡であると思います。
なお、当時、そこまで頭が回らなかったのですが、このパレンケ遺跡からさほど離れていないところに「ティカル遺跡」があります (ただし、メキシコではなく、グアテマラにあります) ので、パレンケ遺跡を訪問した際には「ティカル遺跡」にも足を伸ばしてみるのも1つであるように思います。
【参考文献】
世界遺産検定事務局『すべてがわかる世界遺産大事典<下>』(世界遺産アカデミー、2012年)
地球の歩き方編集室『地球の歩き方 メキシコ '11〜12』(ダイヤモンド社、2010年)
Best wishes to you !!
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