2011年3月30日は、テオティワカン (Teotihuacan) を訪問した後はメキシコ・シティに戻り、メキシコの世界遺産「メキシコ・シティ歴史地区とソチミルコ」(Historic Centre of Mexico City and Xochimilco) の中で、メキシコ・シティ歴史地区 (Centro Histórico de la Ciudad de México) のみ訪問してきました。
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しかし、スペイン人の征服者であるコルテスが1521年にこの都市に攻め入って徹底的に破壊し、その廃墟の上に建設したのがメキシコ・シティです。メキシコ・シティでは、「ソカロ」と呼ばれる中央広場を中心に碁盤目状に道路が整備され、新大陸における植民都市のモデルとなりました。
1523年には、アステカ皇帝の宮殿跡にコルテスの宮殿が建てられましたが、1692年の火災で焼失し、1700年代にパラシオ・ナシオナル (国立宮殿) として副王官邸が再建されました。その後、1821年にスペインから独立した後は大統領官邸として利用されてきました。
アメリカ大陸最大のキリスト教建築である大聖堂は、1563年に起工し、2世紀半の時を経て完成されました。この大聖堂は、ルネサンス、マニエリスム、バロックなど多様な様式が混在する建築物となっています。
メキシコ・シティ市内にはアステカ帝国の痕跡はほとんど残っていないものの、1978年に、大聖堂の北東側で行われた地下鉄工事で、偶然にも月の女神コヨルシャウキが浮き彫りにされたアステカ時代の石板が発掘されました。それによって、この場所がテノチティトランの聖地であったことがわかり、その後行われた発掘調査で、2連の神殿を持つ「テンプロ・マヨール」の遺構が発見されました。
なお、私は、訪問していませんが、人口2,000万人を数えるアメリカ大陸最大の都市メキシコ・シティにある行政区の1つであるソチミルコは、アステカの言葉であるナワトル語で「花畑のあるところ」を意味し、かつてメキシコ・シティが水上都市だった時代の名残が残る場所です。
以上、メキシコシティーの地下に眠る古代文明の遺跡から構成される場所であるメキシコ・シティの歴史地区と、アステカ時代の風景が残る「アステカの生きた遺跡」と呼ばれるソチミルコは、当時を偲ばせる場所として、1987年に「メキシコ・シティ歴史地区とソチミルコ」(Historic Centre of Mexico City and Xochimilco) として、世界遺産 (文化遺産) に登録されました。
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以下では、メキシコ・シティ歴史地区の中で代表的な3つの場所をご紹介いたします。
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メキシコ・シティに滞在する機会に恵まれた際には、ぜひ「メキシコ・シティ歴史地区」(Centro Histórico de la Ciudad de México) に足を運んでみてください。
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「メキシコ・シティ歴史地区とソチミルコ」とは?
現在のメキシコの首都であるメキシコ・シティがある場所には、もともとアステカ帝国の都であるテノチティトラン (Tenochtitlan) が存在していました。テノチティトランは、テスココ湖に浮かぶ島に築かれた都市で、かつてのアステカ帝国の首都でした。しかし、スペイン人の征服者であるコルテスが1521年にこの都市に攻め入って徹底的に破壊し、その廃墟の上に建設したのがメキシコ・シティです。メキシコ・シティでは、「ソカロ」と呼ばれる中央広場を中心に碁盤目状に道路が整備され、新大陸における植民都市のモデルとなりました。
1523年には、アステカ皇帝の宮殿跡にコルテスの宮殿が建てられましたが、1692年の火災で焼失し、1700年代にパラシオ・ナシオナル (国立宮殿) として副王官邸が再建されました。その後、1821年にスペインから独立した後は大統領官邸として利用されてきました。
アメリカ大陸最大のキリスト教建築である大聖堂は、1563年に起工し、2世紀半の時を経て完成されました。この大聖堂は、ルネサンス、マニエリスム、バロックなど多様な様式が混在する建築物となっています。
メキシコ・シティ市内にはアステカ帝国の痕跡はほとんど残っていないものの、1978年に、大聖堂の北東側で行われた地下鉄工事で、偶然にも月の女神コヨルシャウキが浮き彫りにされたアステカ時代の石板が発掘されました。それによって、この場所がテノチティトランの聖地であったことがわかり、その後行われた発掘調査で、2連の神殿を持つ「テンプロ・マヨール」の遺構が発見されました。
なお、私は、訪問していませんが、人口2,000万人を数えるアメリカ大陸最大の都市メキシコ・シティにある行政区の1つであるソチミルコは、アステカの言葉であるナワトル語で「花畑のあるところ」を意味し、かつてメキシコ・シティが水上都市だった時代の名残が残る場所です。
以上、メキシコシティーの地下に眠る古代文明の遺跡から構成される場所であるメキシコ・シティの歴史地区と、アステカ時代の風景が残る「アステカの生きた遺跡」と呼ばれるソチミルコは、当時を偲ばせる場所として、1987年に「メキシコ・シティ歴史地区とソチミルコ」(Historic Centre of Mexico City and Xochimilco) として、世界遺産 (文化遺産) に登録されました。
【参考文献】
世界遺産検定事務局『すべてがわかる世界遺産大事典<下>』(世界遺産アカデミー、2012年)
地球の歩き方編集室『地球の歩き方 メキシコ '11〜12』(ダイヤモンド社、2010年)
以下では、メキシコ・シティ歴史地区の中で代表的な3つの場所をご紹介いたします。
テンプロ・マヨール (Templo Mayor)
- アステカ帝国の都であるテノチティトランの中央神殿跡である「テンプロ・マヨール」です。
- 博物館に展示されているツォンパントリの祭壇です (3枚目の写真)。
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国立宮殿 (Palacio Nacional)
- アステカ帝国時代にモステスマ2世が居城としていた場所に建っています。
- その居城をスペインの征服者コルテスが破壊し、そこに植民地の本拠として宮殿を建てました。
- その後、17世紀に大改修され、今日の姿となりました。
- この宮殿の最大の見どころは、ディエゴ・リベラの壁画『メキシコの歴史』です (2枚目の写真)。
- 毎年9月15日の独立記念日の前夜には、ソカロに面した宮殿バルコニーに大統領が現れて、「メキシコ万歳! 独立万歳!」と叫び、ソカロに集まった数万の市民もこれに唱和するそうです。
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メトロポリタン・カテドラル (大聖堂) (Catedral Metropolitana)
- ソカロの北側にある、メキシコにあるすべてのカトリック教会を統括する総本山的な教会です。
- コルテスがメキシコにおけるキリスト教布教の主座として1563年に着工させ、1681年に100年以上の歳月をかけて完成した教会です。
- そのため、ルネサンス、マニエリスム、バロックなど多様な様式が混在する建築物となっています。
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メキシコの歴史を垣間見ることができるメキシコ・シティ歴史地区
前述のように、メキシコ・シティはアステカ帝国の都であったテノチティトラン (Tenochtitlan) の廃墟の上に建設された都市です。そのため、テノチティトランの中央神殿跡である「テンプロ・マヨール」を訪問することでアステカ帝国の歴史を感じることができると思いますし、アステカ帝国時代にモステスマ2世が居城としていた場所に、スペインの征服者コルテスによって建てられた宮殿が国立宮殿であることを知ることで、毎年9月15日の独立記念日の前夜に、ソカロに面した宮殿バルコニーに大統領が現れて「メキシコ万歳! 独立万歳!」と叫ぶことも理解できるような気がします。メキシコ・シティに滞在する機会に恵まれた際には、ぜひ「メキシコ・シティ歴史地区」(Centro Histórico de la Ciudad de México) に足を運んでみてください。
【参考文献】
世界遺産検定事務局『すべてがわかる世界遺産大事典<下>』(世界遺産アカデミー、2012年)
地球の歩き方編集室『地球の歩き方 メキシコ '11〜12』(ダイヤモンド社、2010年)
Best wishes to you !!
【サイトマップ】メキシコの世界遺産 (World Heritage in Mexico)
【サイトマップ】おすすめの世界遺産の街 (City of World Heritage Site)
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