2012年2月28日は、エルサレムの世界遺産「エルサレムの旧市街とその城壁群」(Old City of Jerusalem and its Walls) を観光してきたのですが、以下は、世界遺産の構成資産の1つになっている「ヴィア・ドロローサ」(Via Dolorosa) をご紹介いたします。
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ベツレヘムで生まれ、ナザレで育ち、ガリラヤ湖で数々の説教と奇跡を起こしたのがイエス・キリストです。イエスは、次第に民衆の心をとらえ、一部で熱狂的な支持を得ていました。しかし、当時のユダヤ教の律法学者たちは、イエスの説く教義は律法を蔑ろにするものであると考えていました。
新約聖書によれば、ユダヤ教の律法学者たちがもっとも嫌悪した点は、イエスが自ら神の子であると称したことです。すなわち、ユダヤ教最大の教義である一神教に対する冒涜であるとして、彼らはイエスの死刑を願ったわけです。
そして、当時、この地方を統括していたのがローマ帝国の総督ピラト (Pontius Pilatus) ですが、ピラトは、律法学者の声に押されるままに、イエスに対して死刑を言い渡すこととなりました。
イエスがピラトの官邸で行われた裁判で有罪とされてから、十字架を背負って歩くゴルゴダへと続く全長約1kmに及ぶ道が「ヴィア・ドロローサ」(Via Dolorosa) です。
ヴィア・ドロローサは、第1留のピラトの官邸から、第14留の聖墳墓教会まで14留あります。キリスト教徒の方々は、物売りの喧騒がこだまする細い路地を、1留ごとにそこで起こったことを黙想しながらたどっていくそうです。
ヴィア・ドロローサ (Via Dolorosa) とは?
ラテン語で「苦難の道」を意味する「ヴィア・ドロローサ」(Via Dolorosa) とは、新約聖書の四つの福音書の記述やキリスト教の伝承などから想定されるイエス・キリストの最後の歩みのことです。ベツレヘムで生まれ、ナザレで育ち、ガリラヤ湖で数々の説教と奇跡を起こしたのがイエス・キリストです。イエスは、次第に民衆の心をとらえ、一部で熱狂的な支持を得ていました。しかし、当時のユダヤ教の律法学者たちは、イエスの説く教義は律法を蔑ろにするものであると考えていました。
新約聖書によれば、ユダヤ教の律法学者たちがもっとも嫌悪した点は、イエスが自ら神の子であると称したことです。すなわち、ユダヤ教最大の教義である一神教に対する冒涜であるとして、彼らはイエスの死刑を願ったわけです。
そして、当時、この地方を統括していたのがローマ帝国の総督ピラト (Pontius Pilatus) ですが、ピラトは、律法学者の声に押されるままに、イエスに対して死刑を言い渡すこととなりました。
イエスがピラトの官邸で行われた裁判で有罪とされてから、十字架を背負って歩くゴルゴダへと続く全長約1kmに及ぶ道が「ヴィア・ドロローサ」(Via Dolorosa) です。
ヴィア・ドロローサは、第1留のピラトの官邸から、第14留の聖墳墓教会まで14留あります。キリスト教徒の方々は、物売りの喧騒がこだまする細い路地を、1留ごとにそこで起こったことを黙想しながらたどっていくそうです。
【参考文献】
『地球の歩き方 イスラエル 2011年〜2012年版』(ダイヤモンド・ビッグ社、2011年)
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ヴィア・ドロローサ (Via Dolorosa) の順路
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以下は、ヴィア・ドロローサ (Via Dolorosa) の各留の簡単な解説です。
第1留
第1留は、イエスが裁判を受けたとされる総督官邸の跡地です。現在は、男子校の敷地となっており、16世紀以来ヴィア・ドロローサの始発点に定められています。
第2留
第2留は、イエスが罪人として鞭打ちに処されたとされる場所で、現在は「鞭打ちの修道院」(Church of the Flagellation) や「有罪判決の教会」(Church of the Condemnation) が建っています。
以下は、ヴィア・ドロローサ (Via Dolorosa) の各留の簡単な解説です。
第1留
-イエスが裁判を受けたとされる総督官邸の跡地-
第1留は、イエスが裁判を受けたとされる総督官邸の跡地です。現在は、男子校の敷地となっており、16世紀以来ヴィア・ドロローサの始発点に定められています。第2留
-イエスが罪人として鞭打ちに処されたとされる場所-
第2留は、イエスが罪人として鞭打ちに処されたとされる場所で、現在は「鞭打ちの修道院」(Church of the Flagellation) や「有罪判決の教会」(Church of the Condemnation) が建っています。スポンサーリンク
第3留
第3留は、イエスが十字架の重みに耐えかね、最初につまづいて倒れた場所です。現在、この場所には「アルメニア使徒教会」(Armenian Apostolic Church) が建っています。
第3留
-イエスが最初に倒れた場所-
第3留は、イエスが十字架の重みに耐えかね、最初につまづいて倒れた場所です。現在、この場所には「アルメニア使徒教会」(Armenian Apostolic Church) が建っています。スポンサーリンク
第4留
第4留は、母マリアが十字架を背負ったイエスを見たとされる場所です。現在は「苦悩の母のマリア教会」(Church of Our Lady of Sorrows) が建っています。
第4留
-悲しむ母マリアと出会った場所-
第4留は、母マリアが十字架を背負ったイエスを見たとされる場所です。現在は「苦悩の母のマリア教会」(Church of Our Lady of Sorrows) が建っています。スポンサーリンク
第5留
第5留は、キレネ人シモンがイエスに替わって十字架を背負わされた場所です。
第5留
-キレネ人シモンがイエスに替わって十字架を背負わされた場所-
第5留は、キレネ人シモンがイエスに替わって十字架を背負わされた場所です。スポンサーリンク
第6留
第6留は、ベロニカという女性が、イエスの顔を絹のハンカチで拭ったとされる場所です。
第7留
第7留は、イエスが二度目に倒れた場所です。ここは、ヴィア・ドロローサ通りとハーン・アル=ザイト通りとの交差点に位置しています。
第6留
-ベロニカがイエスの顔を拭いた場所-
第6留は、ベロニカという女性が、イエスの顔を絹のハンカチで拭ったとされる場所です。第7留
-イエスが二度目に倒れた場所-
第7留は、イエスが二度目に倒れた場所です。ここは、ヴィア・ドロローサ通りとハーン・アル=ザイト通りとの交差点に位置しています。スポンサーリンク
第8留
第8留
-イエスがエルサレムの婦人たちに語りかけた場所-
第8留は、イエスがエルサレムの娘たちに「私のために泣くな。自分たち、また、自分たちの子どもたちのために泣くがよい」と語ったとされる場所です。
聖ハラランボス・ギリシア正教会 (St. Haralambos Greek Orthodox Church) の壁に、第8留のシンボルである「勝利者イエス・キリスト」という言葉が刻まれた石があります (2枚目の写真)。ちょっと分かりにくいところにありますが、ぜひ探してみてください。
聖ハラランボス・ギリシア正教会 (St. Haralambos Greek Orthodox Church) の壁に、第8留のシンボルである「勝利者イエス・キリスト」という言葉が刻まれた石があります (2枚目の写真)。ちょっと分かりにくいところにありますが、ぜひ探してみてください。
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第9留
第9留は、イエスが三度目に倒れた場所です。聖墳墓教会 (Church of the Holy Sepulchre) の入り口にあります。ここにあるローマ時代の円柱 (3枚目の写真) が、イエスが三度目に倒れた場所です。
第9留
-イエスが三度目に倒れた場所-
第9留は、イエスが三度目に倒れた場所です。聖墳墓教会 (Church of the Holy Sepulchre) の入り口にあります。ここにあるローマ時代の円柱 (3枚目の写真) が、イエスが三度目に倒れた場所です。スポンサーリンク
第10留
第10留は、イエスが、ローマ兵によって衣服を剥ぎ取られた場所です。聖墳墓教会 (Church of the Holy Sepulchre) の中にあります。
第10留
-イエスが衣服を剥ぎ取られた場所-
第10留は、イエスが、ローマ兵によって衣服を剥ぎ取られた場所です。聖墳墓教会 (Church of the Holy Sepulchre) の中にあります。スポンサーリンク
第11留
第11留は、十字架が立てられ、イエスが十字架に釘づけにされた場所です。聖墳墓教会 (Church of the Holy Sepulchre) の中のローマ・カトリック小聖堂の祭壇にあります。
第12留
第12留は、イエスが最後に息を引き取ったとされる場所です。祭壇の下の岩に印のあるところに、磔にされたイエスの十字架が立てられていますが、そこがイエスが息を引き取った場所だそうです。聖墳墓教会 (Church of the Holy Sepulchre) の中の、ローマ・カトリック小聖堂と隣接したギリシア正教会の小聖堂の祭壇のところにあります。
第13留
第13留は、聖母マリアがイエスの亡骸を受け取ったとされる場所です。第11留のローマ・カトリックと第12留のギリシア正教の小聖堂の間にあるスタバト・マーテルというイエスの死を嘆くマリアの小祭壇のところにあります。
第11留
-十字架が立てられ、イエスが十字架に釘付けにされた場所-
第11留は、十字架が立てられ、イエスが十字架に釘づけにされた場所です。聖墳墓教会 (Church of the Holy Sepulchre) の中のローマ・カトリック小聖堂の祭壇にあります。第12留
-イエスが息を引き取ったとされる場所-
第12留は、イエスが最後に息を引き取ったとされる場所です。祭壇の下の岩に印のあるところに、磔にされたイエスの十字架が立てられていますが、そこがイエスが息を引き取った場所だそうです。聖墳墓教会 (Church of the Holy Sepulchre) の中の、ローマ・カトリック小聖堂と隣接したギリシア正教会の小聖堂の祭壇のところにあります。第13留
-聖母マリアがイエスの亡骸を受け取ったとされる場所-
第13留は、聖母マリアがイエスの亡骸を受け取ったとされる場所です。第11留のローマ・カトリックと第12留のギリシア正教の小聖堂の間にあるスタバト・マーテルというイエスの死を嘆くマリアの小祭壇のところにあります。スポンサーリンク
第14留
ヴィア・ドロローサ (Via Dolorosa) の終点が、イエスが墓に納められた場所とされる第14留です。現在は、聖堂となっていて、天使の礼拝堂の奥にある小さな部屋に、墓石が納められています。聖墳墓教会 (Church of the Holy Sepulchre) の中にあります。
第14留
-イエスが墓に納められた場所-
ヴィア・ドロローサ (Via Dolorosa) の終点が、イエスが墓に納められた場所とされる第14留です。現在は、聖堂となっていて、天使の礼拝堂の奥にある小さな部屋に、墓石が納められています。聖墳墓教会 (Church of the Holy Sepulchre) の中にあります。スポンサーリンク
Best wishes to you !!
【イエス・キリストの墓とされる場所に建つ教会】聖墳墓教会 (Church of the Holy Sepulchre)
【サイトマップ】ヨルダン・イスラエル旅行記 (2012年2月26日〜3月5日)
キリスト教に興味があるのであれば、エルサレムを訪問した際には、ぜひ「ヴィア・ドロローサ」(Via Dolorosa) を歩いてみてください!!
前述のように、ラテン語で「苦難の道」を意味する「ヴィア・ドロローサ」(Via Dolorosa) は、イエス・キリストがピラトの官邸で行われた裁判で有罪とされてから、十字架を背負って歩くゴルゴダへと続く全長約1kmに及ぶ道であり、イエス・キリストの最後に歩いた道です。
キリスト教に興味があるのであれば、エルサレムを訪問した際には、第1留のピラトの官邸から、第14留の聖墳墓教会まで14留ある「ヴィア・ドロローサ」(Via Dolorosa) の1留ごとに、そこで起こったことを黙想しながら、ぜひたどってみてください。
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