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 2012年2月28日は、エルサレムの世界遺産「エルサレムの旧市街とその城壁群」(Old City of Jerusalem and its Walls) を観光してきたのですが、以下は、世界遺産の構成資産の1つになっている「嘆きの壁」(Wailing Wall) をご紹介いたします。

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「嘆きの壁」 (Wailing Wall) とは?

 ヘロデ大王 (Herod) 時代のエルサレム神殿を囲む外壁のうち、現存する西側の外壁が「嘆きの壁」(Wailing Wall) と呼ばれています。あるいは、神殿を中心とした壁のある位置から「西の壁」とも呼ばれています。

 「嘆きの壁」のある場所のところには、かつて紀元前10世紀にソロモン王が建設した神殿 (ソロモン神殿:第一神殿) が建っていましたが、紀元前521年頃、バビロン捕囚より帰還した人々によって、第一神殿があったところにエルサレム神殿 (第二神殿) が建てられ、その後、神殿は、ヘロデ王 (Herod) によって改修されました (ヘロデ神殿)。なお、エルサレム神殿は、ユダヤ教で最も神聖な建物でした。

 しかし、紀元70年にユダヤ戦争 (ローマ帝国とローマのユダヤ属州に住むユダヤ人との間で行われた戦争) が起こり、ヘロデ神殿は、ローマ帝国のティトス将軍 (Titus Flavius Vespasianus) によって、紀元70年に破壊されてしまいました。その時に部分的に残ったのが、神殿の西側の外壁です。

 神殿が崩壊した後、ユダヤ人は1年に一度だけ許可されている来訪のたびに、帰郷の抱きつつ、この場所で祈るようになりました。

 壁の石の隙間に詰まっているのは、人々の悲願を記した紙切れです。夜になると石の間に溜まった夜露が、壁に生えるヒソプの草をつたって落ちてくるのですが、それが、涙を流すユダヤ人の姿を映しているようであり、いつの間にか「嘆きの壁」と呼ばれるようになったそうです。

 その後、1948年以降はヨルダンの管理下となり、ユダヤ人はこの壁に近づくこともできなくなってしまいました。しかし、1967年6月7日の6日間戦争後は、自由に祈ることができるようになり、約1900年にも及ぶ悲願が達成されることとなりました。

 なお、現在の壁の高さは21mありますが、下から7段目までは第2神殿時代のもの、その上の4段はローマ時代に付け足されたもの、さらにその上にある小さな石はマルムーク朝時代のものだそうです。

 以上のような歴史を知ると、「嘆きの壁」は、ユダヤ民族の人々にとっては「もっとも大切な祈りの場」であり、まさに「心の故郷」であることがお分かりいただけるかと思います。

【参考文献】
 『地球の歩き方 イスラエル 2011年〜2012年版』(ダイヤモンド・ビッグ社、2011年)

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「嘆きの壁」 (Wailing Wall) の場所




 「嘆きの壁」 (Wailing Wall) は、シオン門やヤッフォ門から旧市街に入った後、坂道を登っていくと辿り着くことができると思います。

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「嘆きの壁」 (Wailing Wall) を訪問するにあたっては、お祈りを捧げているユダヤ教徒の方々の迷惑とならないように、くれぐれもご注意ください!!

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 正直なところ、典型的な日本人である私は「無宗教」なのですが、敬虔なユダヤ教徒の方々にとって、この「嘆きの壁」(Wailing Wall) は、ユダヤ教徒の方々にとって「もっとも大切な祈りの場」であり、まさに「心の故郷」であることを痛感しました。

 そのため、この「嘆きの壁」(Wailing Wall) を訪問するにあたっては、ユダヤ教徒の方々の祈りを妨げるような近くからの写真撮影を控える必要があるように思います。私は、これでもできる限り遠くから撮影したつもりなのですが、理想としては写真撮影をしない方がよかったのかもしれません。

 「嘆きの壁」(Wailing Wall) を訪問するにあたっては、皆さんも (皆さんは)、お祈りを捧げているユダヤ教徒の方々の迷惑とならないように、くれぐれもご注意ください。

Best wishes to everyone !!


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