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そして、ナバテア人はアラビア付近の貿易を独占し、それに伴って、ペトラも古代ナバテア人の有力都市として栄えることとなりました。
紀元前64年から紀元前63年頃、ナバテア人はローマ帝国の支配下におかれることとなり、この頃からローマ風の建築物の造営が始まりました。そして、紀元106年に、ペトラとナバテア人は、ローマのアラビア属州として完全に組込まれることとなりました。
その後、紀元663年に、イスラム帝国によってこの地域が征服され、また、ペトラが主要通商路から外れると、ペトラは次第に衰退していき、12世紀に十字軍の城塞が築かれたのを最後に廃墟となって砂に埋もれることとなり、歴史の表舞台からも消えることとなりました。
そして、19世紀初頭、スイス人のイスラム学者であるヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルト (Johann Ludwig Burckhardt) によって再発見され、以来、2世紀近く発掘調査が続けられていますが、その全容はいまだに明らかになっていません。
ペトラ移籍でもっとも有名な遺跡は、「ファラオの宝物殿」を意味する「エル・カズネ」(Al Khazneh) であると思いますが、それ以外にも、数多くの遺跡が今なお残されています。
ペトラ (Petra) は、1985年に、ユネスコの世界遺産 (文化遺産) に登録されました。
【参考文献】
世界遺産検定事務局『すべてがわかる世界遺産大事典<上>』(世界遺産アカデミー、2012年)
ヨルダンの世界遺産「ペトラ遺跡」(Petra) とは?
ペトラ (Petra) は、紀元前1世紀ごろから、それまで居住していたエドム人達を南へ追いやったナバテア人達が居住しはじめました。砂漠の遊牧民であったアラブ系のナバテア人は、もともと隊商の略奪や保護料の徴収などを行っていましたが、やがて自分たちで交易を始めるようになりました。そして、ナバテア人はアラビア付近の貿易を独占し、それに伴って、ペトラも古代ナバテア人の有力都市として栄えることとなりました。
紀元前64年から紀元前63年頃、ナバテア人はローマ帝国の支配下におかれることとなり、この頃からローマ風の建築物の造営が始まりました。そして、紀元106年に、ペトラとナバテア人は、ローマのアラビア属州として完全に組込まれることとなりました。
その後、紀元663年に、イスラム帝国によってこの地域が征服され、また、ペトラが主要通商路から外れると、ペトラは次第に衰退していき、12世紀に十字軍の城塞が築かれたのを最後に廃墟となって砂に埋もれることとなり、歴史の表舞台からも消えることとなりました。
そして、19世紀初頭、スイス人のイスラム学者であるヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルト (Johann Ludwig Burckhardt) によって再発見され、以来、2世紀近く発掘調査が続けられていますが、その全容はいまだに明らかになっていません。
ペトラ移籍でもっとも有名な遺跡は、「ファラオの宝物殿」を意味する「エル・カズネ」(Al Khazneh) であると思いますが、それ以外にも、数多くの遺跡が今なお残されています。
ペトラ (Petra) は、1985年に、ユネスコの世界遺産 (文化遺産) に登録されました。
【参考文献】
世界遺産検定事務局『すべてがわかる世界遺産大事典<上>』(世界遺産アカデミー、2012年)
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ご参考までに、以下は、Googleマップのペトラ遺跡の地図です。
この日の移動ルート&ペトラのマップ
ご参考までに、以下は、Googleマップのペトラ遺跡の地図です。
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以下は、実際に私が訪問したペトラ遺跡の見どころです。なお、以下は、訪問順に並んでいます。


以下は、実際に私が訪問したペトラ遺跡の見どころです。なお、以下は、訪問順に並んでいます。
メインゲート


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メインゲートの入口からシークまで1.5kmの砂利道が続きますが、途中で上に4つのオベリスクを持った岩窟墓、オベリスクの墓 (Obelisk Tomb) を見つけることができます。
オベリスクの墓 (Obelisk Tomb)

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メインゲートの入口から1.5kmほど歩くと、シーク (Siq) と呼ばれる細い道となります。このシークを30分ほど歩くと、突然視界が開け、エル・ハズネ (El Khazneh) と出会うことができます。
シーク (Siq)




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シーク (Siq) を30分ほど歩くと突然視界が開け、「エル・ハズネ」(El Khazneh) と出会うことができます。シークから見るエル・ハズネの光景は、映画「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」の舞台となったことで有名な光景でもあります。
エル・ハズネ (El Khazneh)








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円形劇場は、紀元2世紀から3世紀のもので、5000人が収容できるそうです。
ローマ円形劇場 (Roman Amphitheater)


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柱廊通り (Colonnaded Street)



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大寺院 (The Great Temple)



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凱旋門 (Triumphal Arch)


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カスール・アル・ビント (Qasr Al-Bint)



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ぺトラ考古学博物館 (Petra Archaeological Museum)


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ライオン・トリクリニウム (Lion Triclinium)

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エド・ディル (モナストリー) (Ad-Deir (The Monastery)) は、高さが45m、幅が50mあり、実はエル・ハズネよりも大きいです。紀元1世紀ごろに建てられたナバテア人の神殿です。なお、ディル (Deir) は「修道院」を意味するそうです。
エド・ディル (モナストリー) (Ad-Deir (The Monastery))







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【おまけ】エド・ディル (モナストリー) までの道中に撮影した写真
以下は、エド・ディル (モナストリー)までの道中に撮影したものです。




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翼をもったライオンの寺院 (Winged Lion Temple)

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ビサンチン教会 (Byzantine Church)



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王家の墓の全景・王家の墓の近くからみたペトラ


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宮殿の墓 (Palece Tomb)


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コリンシアンの墓 (Corinthian Tomb)

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シルクの墓 (Silk Tomb)

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アーンの墓 (Urn Tomb)

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犠牲祭壇 (High Palace of Sacrifice) までの行程は、ちょっときついものがあります。ここまでくる観光客は、ほとんどいませんでした。
犠牲祭壇 (High Palace of Sacrifice)



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私は、ヨルダンは日本と比べて温暖な気候であるとばかり思い込んでいましたが、本当に寒すぎてびっくりしました。もし3月にヨルダンのペトラを観光しようと考えている方は、しっかり防寒対策をしたうで訪問するようにしてください。
3月のペトラは寒いので、防寒対策は必須!!
この日 (2012年3月2日) は、なんとか雨は降らなかったものの、ご覧のような生憎の天気であったほか、風がとても強くて、凍えそうな寒さでした。疲れよりも、寒すぎて、ホテルに戻った後、しばらくの間、手の指の感覚が戻りませんでした。私は、ヨルダンは日本と比べて温暖な気候であるとばかり思い込んでいましたが、本当に寒すぎてびっくりしました。もし3月にヨルダンのペトラを観光しようと考えている方は、しっかり防寒対策をしたうで訪問するようにしてください。
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【関連記事】世界のおすすめ古代遺跡 (Ancient Ruins)
ラクダや馬の客引きがしつこくて、かなりウザいのでご注意ください!!
この日は、念願であったペトラを満喫することができたわけですが、ペトラ遺跡を訪問することができた感動と同じくらい、ラクダや馬の客引きに嫌な思いをしました。
2010年から2012年にかけてアラブ世界において発生した「アラブの春」の後に訪問したということで、観光客が激減したということもあると思いますが、ラクダや馬の客引きがしつこくて、かなりウザかったところです。他の国の観光客も同様に感じているようで、ドイツ人やフランス人の方もかなり怒っていました。
ちなみに、私は、1人で観光していたわけですが、”No, thanks”と何度言ってもしつこくつきまとわれ、本当に困ってしまいました。結局、客引きがいるところでは、他の観光客のグループに混じって、あたかもそのグループの一員であるかのように振る舞うことで、なんとかやり過ごすことができました。
この時は、ドイツ人のツアーグループに混じらせていただいたところで、欧米人の中に明らかに見た目が異なる東洋人が1人だけ混ざっていたわけですが、ドイツ人の方々も、私と同じように感じていたからか、見ず知らずの初対面の私をグループの一員であるかのごとく対応していただくなど、本当に助けていただきました。
ただ、ペトラ遺跡に限らず、2013年2月に訪問したエジプトでも同じような思いをしました。アラブ諸国の客引き・物乞いは、度を超えていると思います。私の中では、アラブ諸国のイメージはかなり悪いものがあるわけですが、とりわけ、個人旅行をする方は、アラブ諸国を旅行するときにはご注意ください。
Best wishes to you !!
2010年から2012年にかけてアラブ世界において発生した「アラブの春」の後に訪問したということで、観光客が激減したということもあると思いますが、ラクダや馬の客引きがしつこくて、かなりウザかったところです。他の国の観光客も同様に感じているようで、ドイツ人やフランス人の方もかなり怒っていました。
ちなみに、私は、1人で観光していたわけですが、”No, thanks”と何度言ってもしつこくつきまとわれ、本当に困ってしまいました。結局、客引きがいるところでは、他の観光客のグループに混じって、あたかもそのグループの一員であるかのように振る舞うことで、なんとかやり過ごすことができました。
この時は、ドイツ人のツアーグループに混じらせていただいたところで、欧米人の中に明らかに見た目が異なる東洋人が1人だけ混ざっていたわけですが、ドイツ人の方々も、私と同じように感じていたからか、見ず知らずの初対面の私をグループの一員であるかのごとく対応していただくなど、本当に助けていただきました。
ただ、ペトラ遺跡に限らず、2013年2月に訪問したエジプトでも同じような思いをしました。アラブ諸国の客引き・物乞いは、度を超えていると思います。私の中では、アラブ諸国のイメージはかなり悪いものがあるわけですが、とりわけ、個人旅行をする方は、アラブ諸国を旅行するときにはご注意ください。
Best wishes to you !!
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