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 2015年8月12日は、クラクフから日帰りで、ポーランドの世界遺産「アウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチス・ドイツの強制絶滅収容所 (1940年-1945年)」(Auschwitz Birkenau German Nazi Concentration and Extermination Camp (1940-1945)) を訪問してきました。

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アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所とは?

 アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所 (ドイツ語: Das Konzentrationslager Auschwitz-Birkenau、ポーランド語: Obóz Koncentracyjny Auschwitz-Birkenau) は、ナチス・ドイツが第二次世界大戦中に国家を挙げて推進した人種差別による絶滅政策 (ホロコースト) および強制労働により、最大級の犠牲者を出した強制収容所です。

 アウシュヴィッツ第一強制収容所はドイツ占領地のポーランド南部オシフィエンチム市 (Oświęcim) (ドイツ語名で「アウシュヴィッツ」(Auschwitz)) に、アウシュヴィッツ第二強制収容所は隣接するブジェジンカ村 (ドイツ語名で「ビルケナウ」(Birkenau))  に、それぞれ作られました。

 アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所では、収容者に強制的な重労働を課し、処刑をする場所でした。また、住環境も非常に劣悪で、とりわけ第二収容所は、非常に粗末な作りで、収容棟には床もなく、寝床も腐った藁を敷いた三段ベッドで、一段一段に数名が押し込められていたそうです。

 アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所で殺害された人は、現在では約150万人と推計されています。以前は、殺害された人は400万人と言われていましたが、正確なデータは定かになっていません。

 なお、この地に送られたのは、ユダヤ人だけでなく、政治犯、犯罪者、精神障害者、身体障害者、またロマなどの少数部族にまで及んでいましたが、多くの人命が毒ガスによって奪われたそうです。

 終戦間近、ドイツは大量虐殺の実態を隠すため、強制収容所の破壊を始めましたが、ソ連軍が予想以上に早くポーランドに侵攻したため、アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所の一部が残されることとなりました。

 ユネスコの世界遺産委員会は、二度と同じような過ちが起こらないようにとの願いを込めて、1979年に、「アウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチス・ドイツの強制絶滅収容所 (1940年-1945年)」(Auschwitz Birkenau German Nazi Concentration and Extermination Camp (1940-1945)) を、ナチスによる虐殺の歴史を語る「負の遺産」として、1979年に世界遺産リストに登録しました。

【参考文献】
 世界遺産検定事務局『すべてがわかる世界遺産大事典 <下>』(世界遺産アカデミー、2012年)

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「負の遺産」とは?

 「アウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチス・ドイツの強制絶滅収容所 (1940年-1945年)」は、「世界遺産条約履行のための作業指針」で示されている登録基準の中で、登録基準(vi)に合致しているとして「文化遺産」として登録されました。

【参考】世界遺産の登録基準
 (vi) 顕著な普遍的価値を有する出来事(行事)、生きた伝統、思想、信仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または実質的関連がある(この基準は他の基準とあわせて用いられることが望ましい)。

 世界遺産の登録基準(vi)の適用に当たりましては「この基準は他の基準とあわせて用いられることが望ましい」という記述がありますが、この記述は、1996年の「広島平和祈念碑(原爆ドーム)」の審議以降に書き加えられたものです。しかし、いわゆる「負の遺産」と考えられるものにつきましては、例外的に、この登録基準(vi)のみで登録される傾向があります。

 一般的に「負の遺産」と考えられている世界遺産は、1) 戦争にまつわるものと、2) 人種差別の歴史に関わるものとに大別されます。1) 戦争にまつわるものとしては、「アウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチス・ドイツの強制絶滅収容所 (1940年-1945年)」のほか、「広島平和祈念碑(原爆ドーム)」などがあげられます。2) 人種差別の歴史に関わるものとしては、例えば、セネガル共和国の「ゴレ島」や、 南アフリカ共和国の「ロベン島」などがあげられます。

 以上の「負の遺産」と考えられている世界遺産の中で、「アウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチス・ドイツの強制絶滅収容所 (1940年-1945年)」「広島平和祈念碑 (原爆ドーム)」「ゴレ島」 の3つは、登録基準(vi)のみで登録されています。

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アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所の場所

<クラクフ ⇨ アウシュヴィッツ博物館>




<アウシュヴィッツ第一強制収容所 ⇨ アウシュヴィッツ第二強制収容所>




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アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所を訪問するという場合、事前の予約は必須 !!

  私は、2015年8月12日(水)に「アウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチス・ドイツの強制絶滅収容所 (1940年-1945年)」を訪問しました。以下では、この世界遺産で訪問したところをいくつか紹介したいと思います。なお、以下の写真も、実際に私が撮影したものです。

 ところで、夏場の英語ガイドツアーは大変混んでいました。私は、インターネットで事前に午前11時からの英語のガイドツアーのチケットを購入しておきましたので、無事に訪問することができましたが、おそらく、予約なしで英語のガイドツアーは難しかったと思います。事前にガイドツアーの予約をしておくことを強くオススメしておきます。

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アウシュヴィッツ第一強制収容所(基幹収容所)正門

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 収容所の入り口であったゲートのところには、「働けば自由になる」(ARBEIT MACHT FREI) というスローガンが掲げられています。ただし、「ARBEIT」の「B」は上下逆さまとなっていて、被収容者のせめてもの抵抗の証という説があるようです。


4号棟「絶滅計画」

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 当時撮影された写真などが展示されています。

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5号棟「犯罪証拠」

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 被収容者から没収した品々が展示されています。
 

7号棟「住居・衛生状態」

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 被収容者の部屋やトイレなどが再現されています。なお、6号棟「囚人の生活」も訪問すると思ったのですが、私が参加した英語のツアーでは、建物の中に入りませんでした。

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死の壁

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 10号棟と11号棟の間にある壁は、通称「死の壁」と呼ばれ、この壁の前で、何千人もの銃殺が行われたということです。

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11号棟「死のブロック」

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有刺鉄線

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 当時、有刺鉄線には220vの高圧電流が流されていたということです。

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ヘスの絞首刑台

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 ガス室のすぐ横にあるこの絞首台で収容所の初代所長だったルドルフ・フェルディナント・ヘス(Rudolf Franz Ferdinand Höß)が1947年4月に処刑されたそうです。


ガス室

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 当初は遺体置き場として使われていたようですが、のちに大量虐殺のガス室となったようです。

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「死の門」・アウシュヴィッツ第二強制収容所 (ビルケナウ) の鉄道引込線

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 「死の門」と呼ばれたゲートをくぐると、決して生きては戻れなかったようです。以上の写真は、「死の門」から延びる鉄道引き込み線です。

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その他

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人類が犯した過ちに直視するためにも、ぜひ一度訪問してみてください!!

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 ナチス・ドイツが犯した過ちは、おそらく人間誰もが犯しかねない側面があるように感じているところです。今後どのような世界を作り出して行くべきかを真剣に考えて、実際に実行することが求められると思いますが、その前提として、このような人類が犯した過ちを直視することが必要であると思います。

 実際に「アウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチス・ドイツの強制絶滅収容所 (1940年-1945年)」を訪問し、五感で感じることは、とても貴重な大変になると思います。

 なお、夏場の英語ガイドツアーは大変混んでいました。私は、インターネットで事前に午前11時からの英語のガイドツアーのチケットを購入しておきましたので、無事に訪問することができましたが、おそらく、予約なしで英語のガイドツアーは難しかったと思います。事前にガイドツアーの予約をしておくことを強くオススメしておきます。

Best wishes to everyone !!


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