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 2015年8月14日は、クラクフからの寝台列車に乗って午前9時過ぎにハンガリーのブダペスト (Budapest) に到着しました。翌日から利用するEast Passのバリデーションを済ませ、地下鉄等に24時間乗り放題のチケットを購入した後、ホテルに向かいました。ホテルで荷物を預けた後は、ハンガリーの世界遺産「ドナウ河岸、ブダ城地区およびアンドラーシ通りを含むブダペスト」(Budapest, including the Banks of the Danube, the Buda Castle Quarter and Andrássy Avenue) を観光してきたわけですが、最初に訪問したのはセーチェーニ鎖橋 (Széchenyi Lánchíd) です。

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セーチェーニ鎖橋 (Széchenyi Lánchíd) とは?

 セーチェーニ鎖橋 (Széchenyi Lánchíd) は、ハンガリーの首都ブダペストに架かる吊り橋で、西岸のブダ地区と東岸のペスト地区を結んでいます。

 セーチェーニ鎖橋 (Széchenyi Lánchíd) が完成したのは1849年です。ハンガリーの国民的英雄であるセーチェーニ・イシュトヴァーン (Széchenyi István) 伯爵の提唱によって10年の歳月をかけて造られました。そして、この橋の正式名称も「セーチェーニ鎖橋 (Széchenyi Lánchíd)」と名付けられました。

 この橋は、それまで船でしか行き来できなかったブダとペストの間を結んだ初めての箸ですが、それ以上にハンガリーの人々にとっては特別な思い入れのある歴史的な場所です。

 橋が完成した1849年、対オーストリア (ハプスブルク家) 独立戦争が勃発したのですが、結局、ハンガリーの敗北に終わり、以後、ハンガリーは、オーストリアの新絶対主義の支配下に入ることとなりました。そのような中、セーチェーニ鎖橋が開通しました。

 それから約100年後の第二次世界大戦で、橋はドイツ軍によって破壊されてしまいましたが、その後元の姿に修復されて、1949年に開通式が行われました。以後、現在までその姿を保っています。

 1956年のハンガリー動乱では、ソ連の戦車がハンガリーに軍事的圧力をかけるためにこの橋を渡ったのですが、その後、1989年10月23日、ハンガリーが社会主義と決別した日、市民が赤・白・緑の三色旗を持ってこの橋に集まり、新しい歴史の第一歩を踏み出したことを喜び祝ったそうです。

 橋の両側には、これらの一部始終を見守ってきた4頭のライオンが静かにかつ威厳を持って座しています。

 なお、ブダ側の橋のたもとにある広場は、ハンガリー全土の起点0m地点となっています。また、この広場の丘の斜面には、王宮の丘へ上るケーブルカー乗り場があります。

【参考文献】
 『地球の歩き方 ハンガリー 2014〜2015年版』(ダイヤモンド・ビッグ社、2014年)

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セーチェーニ鎖橋 (Széchenyi Lánchíd) の場所




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セーチェーニ鎖橋 (Széchenyi Lánchíd)

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Best wishes to you !!


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