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 2015年8月21日は、チェスキー・クロムロフからプラハ (Praha) へ移動し、チェコの世界遺産「プラハ歴史地区」(Historic Centre of Prague) を観光してきました。この日訪問したところは、以下の「王の道」です。道というキーワードで街をめぐるということで、米国ボストンのフリーダムトレイルをちょっと思い出しました。

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チェコの世界遺産「プラハ歴史地区」(Historic Centre of Prague)  とは?

 プラハ (Praha) は、チェコ共和国の首都で、同国最大の都市です。なお、プラハは、チェコ語・スロヴァキア語で Praha と表記しますが、ドイツ語では Prag (プラーク)、ハンガリー語では Prága (プラーガ)、英語では Prague (プラーグ) と表記されます。

 プラハは、6世紀後半にスラヴ民族がモルダウ川 (ヴルタヴァ川) 河畔に集落を形成して、7世紀に丘の上に砦を築いたのが起源とされています。その後、880年頃にモルダウ川の左岸にプラハ城の前身の城壁が築かれ、さらに900年頃にヴィシェフラト城が建てられると、両城に挟まれたこの地に人口が集中しました。973年に司教座がプラハに設置されると、市域は拡大を続け、人口も増加の一途をたどりました。

 1346年にボヘミア王カレル1世が神聖ローマ帝国の皇帝に選ばれ、カレル4世 (Karl IV) となると、プラハは、神聖ローマ帝国の首都となりました。カレル4世は、プラハ城の拡張や、カレル大学の創立、カレル橋の建設とヴルタヴァ川東岸市街地の整備などの都市開発を行いました。その結果、プラハは、ローマやコンスタンティノープルと並ぶヨーロッパ最大の都市にまで急速に発展し「黄金のプラハ」と形容されるほどでした。

 しかし、次代国王ヴァーツラフ4世の時代に、プラハ大学教授ヤン・フス (Jan Hus) によるローマ教皇庁への抗議が行われ、1415年にフスが火刑にされると、フス派によってフス戦争が勃発しました。フス派は、当初、ローマ教皇の十字軍を破ったものの、15世紀後半にハプスブルク家のアルブレヒト2世がボヘミア王になると、カトリック化が進みました。

 16世紀後半、ルドルフ2世の治世になると、芸術や科学を愛する王の下、プラハに芸術家、錬金術師、占星術師などが集められ、プラハはヨーロッパの文化の中心都市として栄華を極めました。その後、プロテスタントが反乱を起こして三十年戦争に発展したものの、皇帝軍の前に敗退し、本格的にカトリック化が進みました。

 プラハは、1992年に「プラハ歴史地区」(Historic Centre of Prague) として世界遺産 (文化遺産) に登録されました。

【参考文献】
 世界遺産検定事務局『すべてがわかる世界遺産大事典 <下>』(世界遺産アカデミー、2012年)

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プラハ (Praha) の場所




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プラハ (Praha) で訪問した場所「王の道」




 プラハには、「王の道」と呼ばれる約2.5kmに及ぶ歴史的な道があります。これは、14世紀から約4世紀にわたって、時代が変わるたびに歴代の王が戴冠パレードを行なってきた道です。ルートは、旧市街の火薬塔からカレル橋を渡って、対岸のプラハ城まで続いています。もちろん、私も、この「王の道」を歩いてきました。

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火薬塔 (火薬門) (Prašná brána)

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 パレードの起点となっているのが火薬塔です。くすんだ黒が印象的なこの塔は、もともと1475年にゴシック様式で建築されたもので、旧市街を守っていた城壁の1つでした。17世紀に火薬倉庫として利用されていたため、火薬塔と呼ばれるようになったそうです。


ツェレトゥナー通り (Celetná)

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 火薬塔から始まるツェレトゥナー通り (Celetná) を西に向かって歩きます。


旧市街広場 (Staroměstské náměstí)

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 プラハの心臓とも言える広場です。この広場は、数々の歴史的事件の舞台となったそうです。なお、広場に面して立っているティーン教会 (2枚目の写真の右側) は、15世紀前半には、フス派の本拠地として機能していたそうです。


旧市庁舎 (Staroměstská radnice)

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 旧市街広場を挟んでティーン教会と向かい合うようにして建つ、塔のある建物が旧市庁舎です。旧市庁舎でもっとも有名なのが天文時計 (2枚目の写真) です。縦に2つの文字盤が並んでいて、それぞれが作られた当時の宇宙観 (天動説) に基づいた天体の動きと時間を表しているそうです。

 ちなみに、上が地球を中心に回る太陽と月、その他の天体の動きを示し、年月日と時間を示しながら1年をかけて一周をするもので「プラネタリウム」と呼ばれています。下は、黄道12宮と農村における四季の作業を描いた暦で、1日にひと目盛り動くそうで、こちらは「カレンダリウム」と呼ばれています。そして、2つの円盤の上には、天使の像が置かれています。


カレル通り (Karlova)

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 旧市街広場からカレル橋までの細く曲がりくねった道です。


カレル橋 (Karlův most)

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 モルダウ川に架かるプラハ最古の美しい石橋です。14世紀後半から15世紀にかけて、カレル4世の時代にゴシック様式で建造されたもので、全長約520m、幅は約10mあるそうです。


マラー・ストラナ (小地区) (Malá Strana)

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 プラハ城の足元から南にかkて広がる地域がマラー・ストラナ (小地区) (Malá Strana) と呼ばれています。


新登城道 (Zámecke Schody)

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 新登城道 (Zámecke Schody) の階段を登ってプラハ城の入口を目指すことになります。

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プラハ城 (Pražský hrad)

 街を一望する高台に建つ世界で尾最大級の城が「プラハ城」(Pražský hrad) です。歴代の王の居城でもあります。以下の聖ヴィート大聖堂 (Katedrála svatého Víta)、聖イジー教会 (Bazilika svatého Jiří)、黄金小路 (Zlatá ulička) は、プラハ城の敷地内にあります。


聖ヴィート大聖堂 (Katedrála svatého Víta)

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 第2の中庭から門をくぐって第3の中庭に入ると、目の前に圧倒的な迫力で迫ってくるのが「聖ヴィート大聖堂」(Katedrála svatého Víta) です。


聖イジー教会 (Bazilika svatého Jiří)

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 ロマネスク様式の2本の白い尖塔を持つ教会が「聖イジー教会」(Bazilika svatého Jiří) です。920年に完成した城内最古の教会です。


黄金小路 (Zlatá ulička)

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 プラハ城内には、色とりどりの小さな家が並んだおとぎ話の世界のような通りがありますが、これが「黄金小路」(Zlatá ulička) です。通りの中ほどに、青く塗られNo.22と書かれた家があります (2枚目の写真) が、ここは、作家フランツ・カフカのために彼の一番下の妹オドラが仕事場として提供した場所です。

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プラハ城からみたプラハの街並み

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Unitas Hotel (プラハで宿泊したホテルです)

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 このホテルは、お城みたいなホテルでした。また、スタッフの方もよい方でした。

Best wishes to you !!


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