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霊山護国神社の明治維新史跡「旧霊山官修墳墓」とは?

霊山護国神社の場所
以上の地図からもお分かりいただけますように、霊山護国神社は、高台寺の近くにあります。
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明治維新史跡「旧霊山官修墳墓」

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木戸公神道碑

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パール博士顕彰碑


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霊山表忠之碑

坂本龍馬と中岡慎太郎の墓
勤皇・佐幕と対立抗争を繰り返していた幕末に「日本は1つにまとまらなければならない」という大きな視野から、新しい時代を構想していたのが坂本龍馬です。坂本龍馬は、1866年に薩長連合を成立させ、海援隊を組織し、世界情勢や貿易の必要性を唱えましたが、同志である中岡慎太郎とともに、1867年、京都近江屋で暗殺されてしまいました。
明治維新史跡「旧霊山官修墳墓」では、坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓もありますが、旧霊山官修墳墓で一番人気のお墓が、この坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓であると思います。





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木戸孝允と幾松の墓
京都には、島原や祇園など多くの遊里があり、志士たちと芸妓たちとの間で多くの恋が生まれましたがその代表的なものが、桂小五郎 (後の木戸孝允) と幾松です。幕吏に追われていた小五郎をかっくまったところから恋が芽生え、その後、二人は夫婦となり、維新を迎えました。以下は、木戸孝允のお墓です。



禁門の変殉難烈士の墓
禁門の変は、1864年8月20日に、京都で起きた武力衝突事件で、蛤御門の変、あるいは、元治の変とも呼ばれています。討幕運動の拠点であった長州藩は、1864年に大挙して蛤御門で幕府軍と戦いました。これは稀に見る激戦で、京都の町811町、3万余戸の民家が焼失したそうです。
旧霊山官修墳墓では、禁門の変殉難烈士の墓もあります。



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霊山招魂社 (京都府招魂社)
以下は、霊山招魂社 (京都府招魂社) です。
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梅田雲浜の碑
明治維新の原動力となったのは、尊王攘夷運動です。この運動は、1830年頃から1843年頃にかけて高まりましたが、この頃に活動した1人が、若狭藩士の梅田雲浜です。以下は、安政の大獄で連座した若狭の梅田雲浜の碑です。

維新の道

Best wishes to you !!
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