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神護寺とは?

神護寺 (じんごじ) は、京都市街の北西、愛宕山 (924m) 山系の高雄山の中腹に位置する山岳寺院で、紅葉の名所として知られる寺院です。
入り口でいただいたパンフレットによると、平安京造営の最高責任者であった和気清麻呂は、都の北西に位置し古くから紅葉の名所として知られるこの地に、愛宕御坊の1つとして高雄山寺を創建しました。824年には、高雄山寺と、清麻呂公が国家安泰を祈願するために河内に建てられた神願寺とを合併して「神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)」と改められました。
高雄山寺の時代には和気一族に招かれて、比叡山の伝教大師最澄や、弘法大師空海が入山され、平安仏教の中心的な役割を果たしたそうです。ことに弘法大師は、唐 (中国) より帰朝して、809年に入山以来、14年間住持したそうです。812年には、最澄らに真言密教の儀式である灌頂を授け、真言宗立教の基礎を築いたそうです。
周山街道の「山城高雄」バス停から清滝川を渡り、長い石段を上った先に神護寺の楼門が西を正面として建っています。楼門を入ると山の中腹を平らに整地した境内が広がり、右手に書院、和気公霊廟、鐘楼、明王堂が建ち、その先には五大堂と毘沙門堂が南向きに建っています。毘沙門堂の後方には大師堂があります。五大堂北側の石段を上った正面に金堂、その裏手の一段高いところに多宝塔が建っています。
入り口でいただいたパンフレットによると、平安京造営の最高責任者であった和気清麻呂は、都の北西に位置し古くから紅葉の名所として知られるこの地に、愛宕御坊の1つとして高雄山寺を創建しました。824年には、高雄山寺と、清麻呂公が国家安泰を祈願するために河内に建てられた神願寺とを合併して「神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)」と改められました。
高雄山寺の時代には和気一族に招かれて、比叡山の伝教大師最澄や、弘法大師空海が入山され、平安仏教の中心的な役割を果たしたそうです。ことに弘法大師は、唐 (中国) より帰朝して、809年に入山以来、14年間住持したそうです。812年には、最澄らに真言密教の儀式である灌頂を授け、真言宗立教の基礎を築いたそうです。
周山街道の「山城高雄」バス停から清滝川を渡り、長い石段を上った先に神護寺の楼門が西を正面として建っています。楼門を入ると山の中腹を平らに整地した境内が広がり、右手に書院、和気公霊廟、鐘楼、明王堂が建ち、その先には五大堂と毘沙門堂が南向きに建っています。毘沙門堂の後方には大師堂があります。五大堂北側の石段を上った正面に金堂、その裏手の一段高いところに多宝塔が建っています。
以下は、2024年11月21日に撮影した「神護寺」の風景です。
スポンサーリンク神護寺の場所
以上の地図からもお分かりいただけますように、神護寺は、京都市街の北西、愛宕山 (924m) 山系の高雄山の中腹に位置しています。なお、神護寺へは、阪急烏丸駅で8系統のバスに乗り換えて、「高雄」まで移動しました。


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神護寺の入口
以下は、「高雄」バス停から神護寺の楼門までの風景です。まずは、「高雄橋」の風景です。
次に、神護寺へと続く山道の入り口です。

硯石の向かいには、硯石亭があります。

硯石亭では、名物もみじ餅を楽しむことができます。



楼門には、門の両脇に安置されている二天像です。
楼門は、清滝川畔から石段の参道を上りつめた先に建つ正門で、1629年に再建されました。両脇に二天像が安置されています。
以下は、境内を回り終えて、戻る時に撮影した写真です。

1935年に山口玄洞の寄進によって再建された「和気公霊廟」は、和気清麻呂を祀っています。

金堂へと上る石段の下に建つ「五大堂」は、1623年に建立されました。現在の毘沙門堂が当寺の金堂であった時代、五大堂は講堂だったそうです。
五大堂の南に建つ「毘沙門堂」は、1623年に建立されました。1935年に現在の金堂が建てられる前はこの堂が金堂で、本尊の薬師如来像もここに安置されていたそうです。現在でも、内部の厨子に平安時代の毘沙門天立像 (重要文化財) が安置されています。
毘沙門堂の西側に建つ「大師堂」は、空海の住房であった「納涼房」を復興したもので、近世初期に細川忠興の寄進によって再建されました。内部の厨子に板彫弘法大師像 (重要文化財) が安置されています。
そして、階段を登ったところからの定番の風景です。



神護寺の定番の風景です。毘沙門堂 (奥) と五大堂 (手前) を一緒に写真に収めることができます。

金堂は、1935年に山口玄洞の寄進により再建されました。須弥壇中央の厨子に本尊薬師如来立像 (国宝) が安置されており、左右に日光菩薩・月光菩薩立像 (重要文化財) と十二神将立像、左右端に四天王立像をが安置されています。ただし、残念ながら、内部は写真撮影禁止ということで、写真はありません。

多宝塔は、1935年に山口玄洞の寄進により再建されました。金堂からさらに石段を上ったところに建っています。国宝の五大虚空蔵菩薩像が安置されています。



もちろん、私もかわらけ投げをしてきました。



境内西の地蔵院前の広場から清滝川の谷 (錦雲渓) に向けて、「かわらけ」と呼ばれる素焼きの円盤 (釉薬を使わない土器製の盃) を投げることで、厄除けとするようです。なお、かわらけ投げは、この寺が発祥とされているようです。
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硯石



楼門 (京都府指定有形文化財)





楼門を入ったところからの風景



和気公霊廟

明王堂

五大堂 (京都府指定有形文化財)

毘沙門堂 (京都府指定有形文化財)

大師堂 (重要文化財)

神護寺の定番風景
まずは、階段下からの風景です。





金堂


多宝塔


閼伽井

金堂の近くに閼伽井があります。閼伽井とは、仏前に供える閼伽の水をくみ取るための井のことです。
かわらけ投げ







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和気清麻呂が開き、弘法大師空海が住持した寺院「神護寺」

Best wishes to you !!
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