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高山寺とは?

栂尾山 高山寺 (こうさんじ) は、京都市街北西の山中に位置する栂尾町 (とがのおちょう) にある真言宗系単立の寺院で、紅葉の名所としても知られる寺院です。
高山寺の境内にある石水院でいただいたパンフレットによると、創建は、寺伝によると、奈良時代末の774年に光仁天皇の勅願によって開かれ、「神願寺都賀尾坊」と称したと伝わっているそうです。その後、「高山寺」の寺号は、鎌倉時代の1206年に明恵上人が後鳥羽上皇よりこの地を与えられ、「日出先照高山之寺」の勅額を下賜されたときからのようです。
明恵上人は、華厳宗興隆を実践し、その徳行は皇族・公卿・武士の要人及び民衆など多くの人々の信仰を集めたそうで、「鳥獣人物戯画絵巻」に代表される数多くの文化財が高山寺に集積されていったそうです。また、明恵上人は、臨済宗の開祖栄西禅師から、宋から持ち帰った茶の種を贈られ、栂尾の地で栽培を始めました。そして、この茶が宇治へと伝わり、その後、日本各地へと広まったそうです。
高山寺は、境内が国の史跡に指定されているほか、1994年には、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されています。
高山寺の境内にある石水院でいただいたパンフレットによると、創建は、寺伝によると、奈良時代末の774年に光仁天皇の勅願によって開かれ、「神願寺都賀尾坊」と称したと伝わっているそうです。その後、「高山寺」の寺号は、鎌倉時代の1206年に明恵上人が後鳥羽上皇よりこの地を与えられ、「日出先照高山之寺」の勅額を下賜されたときからのようです。
明恵上人は、華厳宗興隆を実践し、その徳行は皇族・公卿・武士の要人及び民衆など多くの人々の信仰を集めたそうで、「鳥獣人物戯画絵巻」に代表される数多くの文化財が高山寺に集積されていったそうです。また、明恵上人は、臨済宗の開祖栄西禅師から、宋から持ち帰った茶の種を贈られ、栂尾の地で栽培を始めました。そして、この茶が宇治へと伝わり、その後、日本各地へと広まったそうです。
高山寺は、境内が国の史跡に指定されているほか、1994年には、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されています。
以下は、2024年11月21日に撮影した「高山寺」の風景です。
スポンサーリンク高山寺の場所
以上の地図からもお分かりいただけますように、高山寺は、京都市街北西の山中に位置する栂尾に位置しています。なお、神護寺からは歩いていくことができます。



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高山寺の表参道
以下は、高山寺の表参道です。


高山寺を訪問するという場合、栂ノ尾のバス停から境内に入るという場合は、通常、裏参道から入ることが多いと思いますが、神護寺から歩いて高山寺の境内に入るという場合は、この表参道から境内に入るのが一般的であると思います。私も、表参道から入りました。



欄間には、富岡鉄斎の木額「石水院」がかかっています。なお、南面の欄間にある勅額「日出先照高山之寺(ひいでてまずてらすこうざんのてら)」は、後鳥羽上皇の筆であると伝えられているようですが、気づかなかったため、写真はありません。
石水院は、紅葉スポットとしても有名です。





石水院 (国宝) は、明恵上人時代の唯一の遺構であり、上人が後鳥羽上皇より学問所として賜った建物とされています。1889年に金堂の東にあった場所から現在地へとうつされたそうです。



石灯籠
表参道の入口を入ると、石灯籠があります。
そして、石灯籠を抜けると、菱形の敷石がアクセントの表参道となります。

高山寺といえば、この場所が紅葉スポットとして有名ですが、この日は訪問する時期としては早すぎたようで、散り紅葉もなく、紅葉のトンネルを味わうことはできませんでした。残念です。



石水院 (国宝)











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開山堂

明恵上人御廟

金堂

金堂は、1634年に仁和寺古御堂を移築したものと伝わっています。なお、釈迦如来像を本尊としています。
遺香庵 (京都市指定名勝)


高山寺の風景



高山寺の裏参道


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明恵上人によって再興された寺院「高山寺」

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