
エストニア世界遺産「タリン歴史地区」のあるタリンとは?
タリン (Tallinn) は、バルト海東部のフィンランド湾に面するエストニア共和国 (Eesti Vabariik) の首都です。現在、タリンは、対岸のヘルシンキと高速艇やフェリーで結ばれていて、多くの観光客が行き交う北欧に開かれた「バルトの窓」となっています。
タリンでは、1050年に、すでに最初の砦 (Lindanise) が建設されました。しかし、バルト地方で十字軍騎士団の動きが活発になると、これに呼応したデンマーク王によって、1219年に砦は占領され、トームペアの丘に城が築かれました。エストニア人は、これを ”Taani Linn” (デンマーク人の城) と呼び、現在のタリンという名前の由来になったと伝えられています。
その後はドイツ人の入植が進み、1285年には、ドイツ名のレファル (Reval) としてハンザ同盟に加わり、ロシアとの貿易の中継点として繁栄しました。しかし、16世紀のリヴォニア戦争によって、タリンは、スウェーデンの支配下となりました。その後、大北方戦争によって、1710年にはロシアの支配下となりました。
1918年にエストニアが独立すると、タリンはその首都となりましたが、その後、ドイツ帝国の軍事占領を受けました。第二次世界大戦初期の1940年にはソ連の軍事占領を受け、1941年から1944年の間は、ナチス・ドイツの占領下にありました。第二次世界大戦が終了し、ナチス・ドイツが撤収した後は、ソ連が再侵攻し、その後、50年もの間、ソ連領とされました。
エストニアがソ連から独立したのは1991年です。エストニアがソ連から独立して20数年が経過した今、タリンは、中世ハンザ都市の賑わいを再び蘇らせています。
なお、エストニアの首都タリンの旧市街に残る歴史的遺産である「タリン歴史地区」 (Historic Center of Tallinn) は、1997年にユネスコの世界遺産 (文化遺産) に登録されました。
2016年8月19日は、エストニアの世界遺産「タリン歴史地区 (旧市街)」(Historic Centre (Old Town) of Tallinn) を散策してきました。この日訪問したところは以下のところです。

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タリンでは、1050年に、すでに最初の砦 (Lindanise) が建設されました。しかし、バルト地方で十字軍騎士団の動きが活発になると、これに呼応したデンマーク王によって、1219年に砦は占領され、トームペアの丘に城が築かれました。エストニア人は、これを ”Taani Linn” (デンマーク人の城) と呼び、現在のタリンという名前の由来になったと伝えられています。
その後はドイツ人の入植が進み、1285年には、ドイツ名のレファル (Reval) としてハンザ同盟に加わり、ロシアとの貿易の中継点として繁栄しました。しかし、16世紀のリヴォニア戦争によって、タリンは、スウェーデンの支配下となりました。その後、大北方戦争によって、1710年にはロシアの支配下となりました。
1918年にエストニアが独立すると、タリンはその首都となりましたが、その後、ドイツ帝国の軍事占領を受けました。第二次世界大戦初期の1940年にはソ連の軍事占領を受け、1941年から1944年の間は、ナチス・ドイツの占領下にありました。第二次世界大戦が終了し、ナチス・ドイツが撤収した後は、ソ連が再侵攻し、その後、50年もの間、ソ連領とされました。
エストニアがソ連から独立したのは1991年です。エストニアがソ連から独立して20数年が経過した今、タリンは、中世ハンザ都市の賑わいを再び蘇らせています。
なお、エストニアの首都タリンの旧市街に残る歴史的遺産である「タリン歴史地区」 (Historic Center of Tallinn) は、1997年にユネスコの世界遺産 (文化遺産) に登録されました。
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2016年8月19日は、エストニアの世界遺産「タリン歴史地区 (旧市街)」(Historic Centre (Old Town) of Tallinn) を散策してきました。この日訪問したところは以下のところです。
旧市庁舎 (Raekoda)
街の中心、旧市庁舎とラエコヤ広場です。


ハンザ同盟(青と黄)、富と力(緑と赤)を象徴する柱の色彩が美しい「市民の間」です。
「議会の間」では、2つの長椅子(2枚目と3枚目の写真)が有名です。


市庁舎の塔の上には有名なタリンのシンボル、トーマスおじいさんがいますが、1530年に作られた初代おじいさんは市庁舎の中で保管されています。
ラエコヤ広場には、方位が描かれた丸い石があります。この石の上に立つと、タリンの最も有名な5つの尖塔 (旧市庁舎、聖霊教会、大聖堂、聖ニコラス教会、聖オレフ教会) のすべてがラエコヤ広場から見えます。ぜひ探してみてください。






聖ニコラス教会 (Niguliste Kirik)








- 船乗りの守護聖人ニコラスに捧げられ、13世紀前半にドイツ商人の居住区の中心に建てられた教会です。
- ヘルメン・ローゼによる主祭壇は、二重の観音開きの構造になっていて、普段は聖ニコラスと聖ヴィクトルの生涯を描いた第二面が開かれています (5枚目の写真)。
- しかし、最内面には、40体の聖人の塑像が描かれているようです (6枚目、7枚目の写真)。
- ベルント・ノトケによる15世紀の「死のダンス」です (最後の写真)。
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精霊教会 (Tallinna Püha Vaimu Kirik)






- 市庁舎および精霊教団救貧院の礼拝堂として、主に庶民が通った教会です。
- 私が庶民だからでしょうか、この教会が一番落ち着きました。私としては、一番気に入った教会です。
- 桟敷に描かれている57枚の新旧聖書の物語 (4枚目の写真) は、「貧者の聖書」と呼ばれ、文字の読めない人々の教化に使われたそうです。
- この教会では、この写真の子どもにかなり遊んでいただきました。とても人懐っこくて可愛らしかったです。
- 東洋人の顔があまりにも珍しかったのか、私のことをしきりに触ってこようとしたため、「可愛いですね。お名前は何というのですか?」と伺いましたところ、とても長くて難しい名前だったこともあり、この子のお母さんに10回以上も名前を言わされることとなってしまいました。
- その後、このお母さんが何を思ったのか、この子どもを私に預けて教会内の写真を撮影しに行ってしまったため、その間、この子に遊んでいただいたという次第です。
- 結果としては、私も楽しむことができましたが、一瞬、お母さんが戻ってこなかったらどうしようと不安になってしまいました。
大ギルドの会館、エストニア歴史博物館 (Suurgildi Hoone, Eesti Ajaloomuuseum)



- 1410年に建てられ、大ギルドの集会やパーティなどに利用されてきた建物です。
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展望台 (Vaateplats)




- トームペアの丘の上から、塔が立ち並ぶ下町を見下ろすことができる展望台が、以上の2箇所あります。
- 塔の広場から撮影した風景です。
聖オレフ教会 (Oleviste Kirik)





- 60mを超える高さの塔からの眺めは素晴らしいものがありますが、塔の上まで行くのはなかなか疲れました。
- この教会に入る前はまだ青空が広がっていたのですが、塔から降りて外に出ると、かなりの雨が降っていました。
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ふとっちょマルガレータ、海洋博物館 (Paks Margareeta)

- 街の最も重要な出入り口を守るために1529年に建てらえた砲塔です。
Sushi Cat (日本食レストラン)



- かなり不思議な雰囲気のレストランでしたが、味は悪くなかったです。
- 日本に行ったことがあるのか聞いてみましたが、日本に行ったことはないそうです。
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Nordic Hotel Forum (宿泊したホテルです)




ヘルシンキにお越しの際には、タリンにもぜひ立ち寄ってみてください!!
タリン (Tallinn) は、ヘルシンキからフェリーで約2時間で移動できる近郊にある街ですし、エストニアの世界遺産「タリン歴史地区 (旧市街)」(Historic Centre (Old Town) of Tallinn) もある街です。また、北欧諸国とはちょっと異なる「バルト三国」ののどかな雰囲気を味わうことができると思いますので、ヘルシンキにお越しの際には、エストニアの首都タリンにもぜひ立ち寄ってみてください。Best wishes to you !!
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